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夢幻 5.0

†††

「おはよう、白田」
「おはよう、月橋」
学校へ向かう道の途中で月橋と会った。まあ、いつものことだ。
「どうしたよ、ちょっと元気ないんじゃないか?」
もう感づかれた。やはりこいつは侮れないな、と思う。
「まあ、色々とな」
「また喧嘩でもしに行くのか?」
「喧嘩・・・・・・にならなきゃいいんだけどな」
「そんな危なっかしいことやめちまえよ。毎度言ってるけどさ」
「毎度言ってるけど、無理」
「やっぱりな、全く。・・・・・・ほどほどにしとけよ?」
「ああ」

†††

「国語わかりにくいよなー、なんであんなにわかりくいんだろ」
「そりゃあ、言ってることと板書に書いてあることが違ったらわかりにくいだろ」
「ああ、だからか」
カオルと月橋は仲良く席をくっつけて話している。さらに、
「それにちょっと声も聞き取りにくいし」
「そして、ちょっと体臭がきついしねー」
と女子二人が口をそろえて言う。カオルは国語の先生を少し応援してあげたくなった。
この女子は水谷と林。大きい方が水谷で、小さい方が林。カオルたちは月橋の周りの席を四つくっつけて座っている。カオルの隣に月橋、カオルの正面に林、月橋の正面に水谷。
「次は・・・・・・数学だな」とカオル。
「お昼の後に数学とか・・・・・・、拷問じゃん」と水谷。ぐでーっと机にのびる。
「眠くなっちゃうよねー」と林。
「俺は昼の後に歴史が一番きつい」と月橋。きついどころかその授業を丸々眠っていることをカオルは知っている。皆も知っている。
「そんなこと言っていつも寝てんじゃん」と水谷。
「いかに俺といえど睡魔には勝てん」と月橋。
「どんだけ睡魔強いんだよ・・・・・・」とカオル。
「そーいえばドクはいつでも起きてるよねー?どーやってんの?」と林。
「え?起きれるだろ」とカオル。
ドクというのはカオルのあだ名だ。白田→白→ホワイト→ドクター・ホワイト(?)→ドクター→ドク
というわけである。
「「「起きれないよ!」」」
月橋、水谷、林の三人が冷ややかな目をして言った。
「ちっ、味方ゼロかよ・・・・・・。あ、ちょっとトイレ」とカオル。
「レディ二人の前でトイレなどと言うな!」と月橋。
「そーだそーだ、トイレとか言うな、トイレとか!」と水谷。
「お前の方が大きな声で言ってるじゃん」とカオル。
「トイレ!トイレ!」と言うのは林。
「・・・・・・おい月橋、こいつらのどこがレディなんだ?」とカオル。
「・・・・・・性別?」と苦しげに月橋。
「・・・・・・だってよ、お二方」とカオル。
「うっせえ、バーカ!」と水谷。
「ほめたって何も出ないよ!」と林。
こいつらがレディだったらうちの妹もレディだな、と思いつつカオルはレディ二人の攻撃を受けている友人(月橋)を置いてトイレに行った。

†††

「・・・・・・いつ森に行くんだ?」
カオルが昼休みにトイレに行くと椿が話しかけてきた。
周りには他の生徒はいない。それでもカオルは小さな声で返事をする。
「今週の土曜だ。今日『お参り』するぞ」
そう言うとカオルは友人たちの待つ教室へと帰っていった。

†††

その日の帰り、カオルと椿は猫町へと行った。『お参り』、つまり狐にあらためてギンパチのことを聞き出すためである。

「確認になるが、ギンパチは烏の森に住む猫の長だ。まあ、これモンだな」
そう言って狐は頬につーっと線を引くように指を動かした。やくざもの、ということだ。
「それは知ってる。奴はどうして断病の鎌を持ってるんだ?」
そう聞いたのはカオルだ。
「特に理由は見つからなかった。おそらくは『名の有る品』の収集目的だろう」
そう聞いてカオルがどこかほっとしたように肩の力を少し抜いたのを椿は横で見ていた。
「・・・・・・断病の鎌、の効果は?」
椿はカオルから目を離して事務的な質問をする。
「知らん。断病というのだから病を断つのだろう。それ以上はモノを調べてみないと」
「役立たずめ」
「ふん、なんとでも言うがいいわ小童が。貴様らが鎌を盗ってくればいいだけの話であろうが」
狐がばはーっと煙を盛大に吐き出す。
「・・・・・・それ以外は?」
狐が煙を吐いて黙り込んだのを見てカオルは質問した。
「無い」
「・・・・・・少なくないか?」
椿もやや呆れ顔で言う。
「・・・・・・実は無くはない。奴の友人、という者の名前はわかった」
「それで居所は?」
「わからん」
「「へ?」」
「わからんと言ったのだ!」
狐は面白くなさそうにキセルをくわえたままそう怒鳴った。
「数日でそんなにほいほい情報が出るものか。いつもいつも無茶な注文をしおって」
「それにしたっていつもの調子じゃないな」
「・・・・・・相手が相手だからな」
狐はじっくりと据えた目をした。何かあったのだろうか。
「やくざ者を調べるのは骨が折れる、とか?」
椿が狐の言わんとしたことを推測してつぶやいた。
狐は渋い顔で面白くなさそうに黙ってうなずいた。
「わしの口からこれ以上は言えん。あとはこいつを探してくれ」
狐はそう言うと紙をぴらっとカオルに寄越して奥に引っ込んでしまった。

カオルが紙を見ると『マタキチ』とだけ書かれていた。

†††
水曜日。

「水曜か・・・・・・」
カオルはカーテンを開け朝の光を前進に受けながら日めくりカレンダーをめくって眠そうにつぶやいた。
「あと三日だな」
「今日を除けばな」
カオルはまたベッドに倒れ込み、二度寝するか否かの危ない橋を渡り始めた。
「眠るなよ?」
カオルは忠告した椿の腰にささった刀をぼんやりと見つめた。
「・・・・・・それ使ったらどんだけ楽かなあ・・・・・・?」
「使わないと言ったのはお前だ。俺はいつでもこの刀を振るってやるぞ?」
しかしカオルは寝返りを打って椿にそっぽを向いた。
「いや、まだいいや」
「そうか・・・・・・」

しばらくして寝息を立て始めたカオルの頭を椿がどついたことは一応書いておこう。

†††

「学校ってめんどうだよなあ・・・・・・」
「それ今更口に出して言うことかあ?」
「正にそうね」
「そのとーりっ!」
順に月橋、水谷、林の発言だ。
四人は今屋上でランチタイムという絶対魔法を展開している。実にリアくさい。
「学校に来ている時間も情報収集に使いたいからか?」
午前の偵察から帰ってきた椿は一切空気を読まずに現れた。
四人で昼食を取っているときに正面の水谷と林の間からにゅっと顔を出して質問してきたのだ。
しかしそんなことでカオルは口に含んだお茶を吹き出したりはしない。幽霊が見えることも、いきなり出てくるのも、もう慣れっこだ。
カオルは簡潔に貧乏揺すりにカモフラージュしたモールス信号で返事をする。
<ソウダ>
「面倒と言えば次は体育よ」
「あっ、そうだった。忘れてた」
「月橋はホント時間割覚えないよね・・・・・・」
「確かにそーだね、不便じゃない?」
「代わりにこいつが覚えてくれてるから大丈夫」
「ほほう、じゃあ俺がお前に間違った時間割を教えればお前は詰むワケか・・・・・・」
「容赦ないな・・・・・・」
これは椿だ。
「鬼かお前は!」
これが月橋。
<ウルサイ ミツケタノカ>
合間に椿に返事をする。椿は首を振り、立ち去っていった。
俺はしばらく椿の背中を目で追うが林たちの声でそれをやめた。
「ドクはホントに毒があるよねー」
「普通は時間割くらい覚えてるんだけどね・・・・・・」
林と水谷がははは、と俺たちを笑う。
「俺に毒なんかねえよ」
「へっ、お前なんか毒だらけだね!ドクドクだね!」
「・・・・・・お前それけなしてるつもりなのか?」
「ドクってどくどくだったの!?」
「林・・・・・・?なんで反応してんの?」
いきなり脇からつっこんできた林に俺はできるだけソフトに対応した。
「実は私もどくどく・・・・・・だったりしてね」
「は、はは、ははは・・・・・・」
一瞬だけ黒いオーラとぎらりと光る眼光を見た気がしてカオルはひきつった笑みを浮かべた。
林とはけっこうなつき合いになるのだが未だに底の知れない女だ。

†††

「マタキチ・・・・・・ね。とっとと見つけないとな」
「何も土曜までにギンパチの所に行こうとしなくても、延期すればいいだろ」
そんなことを言う椿をカオルは鋭い目でにらんだ。
「俺たちには悠長に遊んでる暇は無い。マタキチが見つからなくてもギンパチの所には行く」
カオルのきつい口調に椿はむっとして言い返した。
「学校に行ってるじゃないか。アレはいいのかよ?」
「・・・・・・いいんだよ」
カオルの答えはいつもよりも歯切れが悪かった。

†††

「よう」
「おや、カオルに椿の旦那、よくおいでなすった。ささ、どうぞ」
カオルと椿は猫町の一角にある一軒の居酒屋に来ていた。これで六軒目だ。
猫町、というのは妖怪、幽霊、その他諸々人間には見えざる者の巣くう町のことだ。少なくともカオルの住んでいる周辺ではそういった場所を猫町と呼んでいる。つまり、猫町の住民たちが「ここは猫町だ」と言っているのだ。
「いや、今日は人を捜してるんだ。悪いけど食っては行かない」
「ああ・・・・・・。そうですかい、残念です。で、探してる人ってのは?」
「マタキチ、だ」
これは椿だ。
「マタキチ?」
店主のイタチは、知らないなあ、と言って頭を振った。
「まあ、わかったらお知らせしますよ」
「そうか、迷惑かけたな」
カオルと椿は食い下がることなく大人しく店を出た。

「あいつは嘘をついている」
歩きながらカオルは椿に言った。
「何?どこでだ?」
「マタキチを知らないって言ったときだ。椿今日のところはもう帰る。明日は店主辺りを調べておいてくれ」
「あいよ」

†††

「カオ兄ー」
ノックの音とともに妹の声が聞こえた。カオルは自室のテーブルで色々と書いていたのを中断せずに返事をした。
「ああ、開いてるぞ」
その言葉で妹がドアをがちゃりと開けた。カオルは顔を上げずにドアの側に突っ立ったままの妹に言う。
「何の用だ?」
「何の用もなくては兄の部屋に来てはいけないと!?」
「何で感嘆符付けるんだよ。あと、用がないなら出てけ」
「ひどい!でも用事ならあるもん!」
カオルは手を止めて妹の顔をあきれ顔で見た。
「何だよ、早く言えよ。用件」
妹は兄の冷たい態度にむっとした顔をしたが、次の瞬間、かわいらしい笑顔を全開にして、
「お兄ちゃん、ゲームしよ?」
と言った。
「出てけ!」
間髪入れずカオルは叫んでいた。
「何よっ!へん、カオ兄なんか勉強のしすぎで目え悪くなっちゃえ!」
「何だよ、そのリアクションに困る悪態は!」
「ふん!カオ兄のばーか!ばーか!」
そう言い捨てて妹は自分の部屋に戻っていった。
「兄妹というものはいいものだな」
すぐ側でにやにやと笑いながらそう言う椿が憎らしかったのでカオルは、
「ふん!」
と盛大に鼻を鳴らした。

†††

長くなりそうだったから、途中でぶつ切りに。
いつもなら次はココロのパートだけど次もカオルのパートで。
『断病の鎌』編(?)が終わるまでは。
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夢幻 4.0

1 †††
その後どうなったのか全く覚えていない。
どうやって自分が教室に戻ったのか。
あの女はどこへ行ったのか。
・・・・・・マキノはどうなったのか。

ほとんど幽霊のようになりながらその日の残りを過ごした。
俺を追いかけていったマキノが戻らずに俺だけが戻ったことはおそらくクラスメートにかなりの違和感を与えたのだろうが、マキノについて聞いてくる奴はいなかった。
しばらくすると、全てが終わったことを知らせる鐘が鳴り、クラスメートが全員教室から出ていっても、気づけばぼうっと窓の外をみつめていた。

「帰らないの?」
窓に向けていた目線を前にやると、あの女がいつの間にか少し前の席の椅子に後ろ向きに座り、あごを背もたれの上に乗せてこちらを見ていた。
「・・・・・・」
怒りのあまり、彼女のやる気のない目をにらみつけたまま何も言えなかった。
「・・・・・・彼なら裏の林に置いてきたわ。何日かすれば見つかるでしょう
ね」
「あいつは死んだのか」
少女は俺の目を正面から見据えて言った。
「ええ。間違いないわ」
「俺が殺したんだな」
「そうね」
少女は目を窓の外へとやり、そのまましばらくの間黙って窓の外を見つめていたが、やがて口を開いた。
「来て欲しい所があるの。来てくれる?」
「・・・・・・名前は?」
俺の不意打ちに少女は、え?と少し高い声を出した。
「お前の名前だよ」
そう言って少女を見る俺の目には敵意、のようなものが混じっていた。
それに気づきつつも少女は、
「楓よ」
と名乗った。

†††

「来て欲しいところってのは森の中なのか?」
「そうよ」
背が高く、葉の生い茂った木が何本も立っている。うっすらと霧がかっていて、遠くまでは見通せない。それでも辺り一面が森だ、ということは確かだ。
静かな森だ、と思った。この森が近所にあることは知っていたし、少しくらいなら入ったこともある。しかし、ここまで深い所まで来たことはなかった。正直不気味だ。
「まだなのか?」
「まだよ」
「迷わないだろううな」
「大丈夫よ」
少年の問いかけに楓は即答した。この様子なら迷うことはないだろう。
「それで、誰に会わせるつもりなんだよ。いい加減教えてくれよ」
もう何度目かもしれない質問をまたしてみた。まともな答えが返ってくるとは思っていなかった。ただ、無言で歩いているのが気まずく感じたからまたやっただけだ。
「・・・・・・いいわ。わかった。ちょっとだけ教えてあげるわ。相手はね、人じゃないのよ。神様。神様なのよ」
若干投げやりな感じで楓が言う。
ぽかん、と鳩が豆鉄砲でも食らったような顔になった、と思う。
「・・・・・・え?何、神様?」
「そーよ」
何が気に入らなかったのか、楓はつまらなさそうに口をとがらす。
しばらくの間、楓が何か説明するのを待ったが、いつまでも彼女は説明を始める様子を見せなかった。考えているそぶりもない。
「・・・・・・説明してくれないか?」
「嫌よ、そんなの」
楓はおそるべき台詞をしゃあしゃあと吐いた。
「おい、説明しろよ、そこは。気になるだろうが」
そう文句を言っても、のれんに腕押し。堂々としたもので、
「着けばわかるわよ」
などと言っている。
俺にはただ頭をかきむしり、歯ぎしりすることしかできなかった。

†††

「お、おい、なんだよアレ」
「『社』よ。私たちはそう呼んでるわ」
楓が社、と呼んだ物は一言で言えば神社だった。ただし鳥居は無い。水を柄杓ですくったりするところも無い。あるのは社殿と灯籠だけ。
しかも全体的におそろしく古かった。
そのためか全体的にかなり異様な雰囲気を醸し出している。いわゆる「出そう」な建物だ。
楓がすたすたとその社に向かっていく。社には近づきたくない、と思ったが、ここは深い森のまっただ中。一人でいるのは正直かなり怖かった。口が裂けても言えないけど置いて行かれたくない、と思って少し小走りで追いかけると、楓が振り返って、
「置いて行かれるのが怖かったの?」
と、口元にうっ・・・・・・すらと笑みを浮かべていった。
「こ、怖くねえよ!」
俺は思わずちょっと大声を出してしまった。

社に向かって少し歩くと社殿の中から男が一人出てきた。上が深い赤の道着、下が黒の袴。なんとなく弓を射る人のイメージが浮かんだ。理由は未だにわからない。
ちなみに楓はシャツにジーパンの普通の格好だ。格好の善し悪しは生憎と俺のセンスが無さすぎて判断つかない。
「なんだそいつは」
その袴男が楓に向かって言った。楓の知り合いなのだろう。少なくとも俺の知り合いではない。
「式よ」
シキ?なんだそりゃ。
しかしつくづく説明の少ない女だな、とも心中でつぶやいた。
「式だと?アレを成功させたのか」
「見りゃわかるでしょ」
あの返事で納得した男もすごいが、楓のおそろしく無愛想な返事もすごいな。だけど何よりも『アレ』ってのが気になる。
俺一人だけが頭の中にたくさんのもやもやを抱えていた。

「ふうむ・・・・・・。ならいいか。入るがいい。ただし粗相の無いようにな」
「わかってるわよ」
「全く・・・・・・。もういい、さっさと入れ」
最後には袴男は面倒になったのか手をひらひらとさせてどこかへ行ってしまった。
楓がこちらを見る。その目には何の感情も見えなかった。
「入るわよ」

†††

まず、障子を開けた。なかなか広い畳の部屋があった。広い部屋なのだが、もったいないことに何も置いていなかった。これまたちょっと不気味だった。
「ほら、行くわよ」
楓は下駄を脱いでずんずんと部屋の奥の襖に向かっていく。俺も慌てて靴を脱いで追いかけた。
次の襖を開ける。これまた似たような部屋だった。歩いていって楓はまたも奥の襖に手をかける。
まさか、と思ったがそのまさかだった。
次も似たような部屋だった。
「なに変な顔してんのよ。さっさと行くわよ」
楓は歩みを止めた俺に向かって非難するような目で言った。

†††

一体何回襖を開けたのか数えていなかったが、おそらく何十回目かの襖の前で楓は止まった。ずっと直進してきたわけではなく、途中で何度か左折したり右折したりした。左折を四回続けたところもあった。必要なのかと楓に聞くと、
「必要よ」
という一言が返ってきた。

襖を前にして楓が言う。
「この次にいらっしゃるわ」
「か、神様が?」
楓がこくり、とうなずく。実は社に入ったあたりから緊張していたのだが、いよいよ緊張は頂点に達した。神様がこのさきにいるなどあるわけないと思っていても、体は強ばっていた。
楓が襖の前で正座したので、それにならう。
「入るわよ」
「ま、待ってくれよ」
深呼吸くらいさせてくれ、という言葉がのどから出る前に楓は奥の間に厳かな声で願い入れた。
「入ってもよろしいでしょうか」
そんな言葉遣いでいいのか、と思ったが、
「入れ」
とすぐに返事が返ってきた。案外神様の扱いも軽いのだろうか。使う敬語がその辺の面接で使うのと大差無いじゃないか。
楓が面を下げたまま襖を開けた。やはり楓にならって顔は上げなかった。
「新入りか?」
「はい。式神にございます」
「ほお・・・・・・」
式神?
「なるほど・・・・・・。面を見せてみよ」
俺のことかな、とそろそろと顔を上げてみた。首が強ばってぎしぎし言った。
『神様』は人間みたいな格好をしていた。
顔は半分しか見えなかった。お面をしていた。狐の面。下半分、口の周りの部分が無い、上半分だけの面。それで、全体的に白で所々に赤の線が走る着流しを着ている。
そこでしげしげと神様をみつめている自分に気づいて目を伏せた。
「この者を神官としてもよろしいでしょうか」
楓が顔を伏せたまま言う。
「よい」
シンカン?なんのことだろう?
「用は以上か?なら下がれ」
「はい。失礼しました」
楓が襖を閉じる。
「ふう、緊張した」
楓はほんの少しだけ感情を表に出してそう言った。

夢幻 3.0

†††
白田薫と椿は病院を出たその足で結果報告に出向いた。

カオルはだん、と机に蒼い玉を乱暴に置いた。カオルの向かいに座っているそいつはそんなカオルを、そんなに乱暴に扱うなとでも言うように一にらみして度のきつい眼鏡をかけた。
「なにが『拝み玉』だよ」
とカオルは苦虫でも噛みつぶしたような顔で目の前のそいつに言った。
ちっとも効果無いじゃないか、とぼやくカオルにしっぽのふわふわしたそいつは眼鏡を外して告げる。
「こいつは使用済み、だねえ。もう使えないよ」
カオルはそんなこったろーよ、という顔をした。
「そんな顔するな。これでも十分高く売れる」
「金の話なんかしてねーよ」
カオルは狐の着物の胸ぐらをひっつかんでぐいっと顔を近づけた。
「いつもいつも紛いもんばっかりつかませやがって。てめえ、ちゃんと探す気あんのか?」
しかし、狐はそんなカオルの文句にも眉一つ動かさず、平然とキセルの煙をぷはーっとカオルの顔に吐きかけた。
「いつもいつも文句言いやがって。探してると言っているだろうが。それだけ難しいんだ」
「てめえ・・・・・・!!」
なおも怒りの収まらないカオルの首元を椿がひっつかんだ。
「頭を冷やせ」
そう言ってカオルの頭を机に叩きつけた。
「手荒じゃのお・・・・・・」
カオルが悶絶する様を見てにやにやと狐は嗤った。
「・・・・・・それで?次は?」
椿が冷たい目で狐に問いかける。狐は意地の悪い目で立ったままで上から見下ろす椿の目を見据えて言う。
「ギンパチが『断病の鎌』を持っている、という話を聞いたことがある」
「ギンパチ・・・・・・。猫又か」
「そうだ。奴はあの森の一角の長だ。手強いぞ」
「・・・・・・上等だ」
そこでカオルが起きあがった。目には燃えるような光を宿している。
「『梟の森』の猫どもを相手に奪ってきてやるよ。その鎌をな」

†††

カオルと椿は狐の家を出て、ようやく帰り道を行き始めた。
「使用済みか・・・・・・。そんなこともあるんだな」
「前にも何度かあった」
へええ、と椿が息を吐く。
「で、猫又相手に何か手はあるのか?」
「ギンパチねえ・・・・・・。さすがに初対面の相手じゃあ策も練りようがない」
「必要なら・・・・・・」
「いや、それは無い。お前が俺といる限りな」
「いつまでそんなことをいってられるのかねえ・・・・・・」
カオルは椿を振り返り、その腰の刀にちらりと視線をやり、再び椿を見据えた。
「これが俺のやりかただ。いままでも、これからもな」

†††

「ただいま」
「おかえりー」
カオルが古びた一軒家の玄関扉をがらがらと開けると奥から間の延びた声が聞こえた。
「晩ご飯はー?」
「唐揚げー」
「わかったー」
「弁当はー?」
「後でもってくー」
カオルは自分の部屋の戸を開けてベッドに倒れ込んだ。
「生身の体があると大変だな」
「ふん」
倒れ込んだままカオルはお前は悩みなさそうでいいよな、と言った。
椿は口は笑みの形に歪めたが、
「代わるか?」
と言ったその声は冷え冷えとしたものだった。
「冗談だよ」
カオルは起きあがった。


†††

「このコンビあんまり面白くないわねえ。ねえ、カオ?」
「んー、そうだね」
カオルは高校の宿題を猛スピードで解きながら、隣でお笑い番組を見ている母の感想に一応同意した。
「ねー、カオー、この問題教えてー」
「ん・・・・・・、じゃあこの問題解いてみろ」
その更に隣にいる妹がわからないというので、少し簡単な例題を出してやる。
「解いてよー」
「ダメだ。自分で解け」
「ちっ」
最後に妹は一瞬だけ素に戻ったが、大人しく例題を解き始めた。
「なー、カオー、これ解いてくれよー」
今度は大学生の兄がからんできた。
「大学の問題はわかんねえって」
「ちぇっ」
でもきっと説明したらわかるんだぜ、こいつ、などとぼやいている。
ちなみにカオルにはちらっと問題が見えたのだが、説明なしでもいけるな、と感じたとか。
「なあー、カオー」
「親父もかよ!」
父親も輪に入りたかったのだ。

†††





夢幻 2.0

気がつくと黒川心は自分のベッドの上で眠っていた。目が覚めてもしばらくの間ぼうっとしたまま動かずにじいっと天井を見つめていた。昨日起こったことを思い出そうとしていたのだ。
どうやらその試みは失敗に終わったらしく、起きあがって頭を振り、身支度を始めた。今日も学校に行かねばならない。ココロはこの上なく憂鬱な気分になりつつもカッターシャツの袖に腕を通す。
今日使う教科書、いずれもぼろぼろである、を鞄に入れ要らないものを机の棚に置く。教科書を学校において帰ったりなどしない。そんなことをすれば教科書はもう戻ってこないだろう。
このときにココロは机の上に置いてあった封筒をしばらく見つめ、机の引き出しにしまった。

支度を終え、ココロは居間へ母親の作る朝食を食べに行った。

†††

「いってらっしゃい。気を付けて」
「うん。いってきます」
玄関まで見送りに来た母親にそう言って家を出た。
エレベーターで一階まで下り、エントランスホールを出ようとしたその時、
「おはよう」
と声をかけられた。女の子の声である。
「おはよう」
ココロはその子の方を向いて返事をして更に、
「知り合い?」
と聞いた。
その娘は特に表情を変えることもなく近づいて来た。
ココロはその娘の立ち振る舞いになんとなく身構えるものを感じた。
「昨日あったでしょ?」
「いつ?」
「夜に」
「もっとはっきりと言って欲しい」
「ここの屋上から飛び降りて死にかかってたあんたを助けた者よ」

ココロはやはりか、と思った。昨日の声の主か。そう頭では理解というか直観していたが、どこか信じられないと感じたのも事実だった。

「本当に?」
「ええ」
ココロは目の前の少女の瞳を真っ直ぐに見て、
「ありがとう。助けてくれて」
と言った。
しかし、少女はココロの純粋な目に恐れをおぼえたとでもいうように目を逸らした。
「まだ・・・・・・感謝するのは早いと思う」
少女はエントランスホールのタイルを見ながらぽつりと言った。
ココロはその少女の様子に何とも言えない恐怖を感じた。こう、大きくておぞましい寄生虫が体の中を這いずり回っていると知ったときのような悪寒だった。
「どうして?」
それでもココロは尋ねた。聞かなければ悪寒は引かない
しかし少女はすぐには答えず、
「今日一日経てばどういうことかわかるわ」
とどこか申し訳なさそうな表情で言った。

†††

例の少女はエントランスホールで、
「それじゃ、また。明日の朝会いましょう」
と言って去ってしまった。
ココロとしては色々、本当に色々と聞きたいことがあった。でもなんとなく聞くのが怖かったのもあって彼女が去るのを止める時にためらってしまった。
道路に出たときにはもう彼女の姿はなかった。


ココロは学校に着いた。もう行かないと何度心に決めたか知れない。それでもココロは一度も学校を休んだことはなかった。

例えいじめに遭っていたとしても。

†††

俺は、認めたくはないが、「いじめ」に遭っている。俺は「いじめ」という言葉が嫌いだ。響きがあまりにも軽い。重みがない。

登校すればまず椅子が無い。などというのは序の口。机も無い。もっとひどい時には机も椅子もなく、ようやく見つけ出すと、椅子と机の至る所にガビョウが張り付けてあったりする。でも一番たちの悪いのは一見何も無さそうな時だったりする。

授業中は絶えず物が投げつけられる。大体は尖ったものだったが時々お菓子の箱なんかも飛んできた。
これを含めて先生が気づいていないはず、無い。無いのだが、気づいていない。気づかない。

トイレには行けない。行けばカバンの中身が無くなる。用を足している時に必ず嫌がらせを受ける。嫌がらせなんて生やさしいものではない。それしか言葉が無いから使っているだけだ。

休み時間はいたぶられる。文字通り、だ。内容は日によって様々。やる側としては「休憩」なんだろうがやられる側としてはただの苦行だ。別に俺は僧侶になりたいわけではないのだが。

これ以上のことを言うのは面倒だし気が滅入るのでやめる。もう充分だ。


もうすぐ校門前だ。いつもならこの辺りまで来ると、鬱になって今にも泣きそうな気分になるのだけれど、今日は平気だ。

・・・・・・昨日のことが影響しているのだろうか。
昨日俺は自殺した。いや、しようとした。結果的には失敗したわけだが。おそらくあの娘がいなければ更に数十分ほどあのままだったろう。そうなっていたら、きっと正気を失っていた。死の直前ではどうなろうと大して関係はないが。

そして今、俺の心境は自殺前と比べてまるで変わってしまった。
どう変わったかというと自信がついた。
今までは何をしても失敗ばかりで自信など全く無かった。しかし、自殺してみて、少なくとも実行することができて、「自分は何もできない人間じゃあない」と思えた。
この発想があまりにも幼稚だと言うことはわかっている。だが、頭でわかったところでその感情が消せるわけでもない。そして、この「自信」がおそらくは今の自分を支えているのだろう。




・・・・・・後から思えば自分はなんて下らないことを考えていたのだろうと思う。恥ずかしくなる。自殺未遂で助かって自信につながるなど呆れて物も言えない。我ながら本当に情けない。
まあ、すぐに自分の罪深さを痛いほどに思い知ることになるのだが。

†††

時間は飛んで昼休み。黒川心がクラスメートにいたぶられる様子など別に誰も望んでいないだろう。
しかし残念ながら必要な部分は書かねばならない

多少ココロの心に余裕ができようができまいが日々繰り返される出来事に何か変化が起きるわけでもない。今日も授業中ココロはかみくずだのけしかすの集めたやつだのを投げ続けられていた。

そんな授業だかなんだかよくわからないものをいつもの通りに受けていると、なにやら慌てた様子の事務・・・・・・の人が教室のドアをがらっと開けて先生を手招きした。
こそこそ話す二人に教室中の皆が注目する。やがて、
「今日は自習にします」
と先生は出ていった。教室に残されたのはココロとその敵三十六人。クラス全員。
「自習だってよ」
教室の真ん中辺りに座っているでかい奴がこちらを振り返ってにやりと笑う。毎度毎度見飽きた汚い顔だ。
こいつは「マキノ」といってクラスの中心だ。面白いし友達も多い。彼がこうだ、と言えば皆そうする。そうしなければ、「はみ出し者」になるのだ。
いつかココロは彼の意見に反対したことがあった。旅行のプランだったろうか。偶々同じ班になったので意見を出した所、それが反対意見だと取られたらしく、以降彼をはじめクラス全員が敵になった。当然楽しいはずの旅行は最悪の思い出と化した。

たちの悪いことにマキノは腕っ節まで強い。おそらくこの流れはレスリングだな、とココロが予想すると、
「レスリングだな」
とマキノは言った。ワンパターンなやつなどと余裕ぶってはいられない。マキノは関節の極め方もかじっている。それが半端にかかるものだから痛いのだ。しかも、力づくでなんとかしようとするのでなお痛い。

詰め寄るマキノの威圧感に圧されてココロが後ずさりすると、

なんと窓から紙飛行機が入ってきた。
おまけにそれはココロの手元に飛んできたではないか。
思わず手にとってみると、走り書きで
『今すぐ屋上に来い』
と書いてあった。

これはあの娘のよこした物だ、ココロは直観した。

「なんだそれ?」
マキノが迫ってくる。その声にココロは弾かれたように教室を飛び出した。

†††

はあはあと荒い息をついてココロが屋上への扉を開けるとやはりあの少女が腕を組んで立っていた。
「来たわね。よかったわ。・・・・・走ってきたの?」
少女は意外そうな声色を 出した。
「急げって言ったろ」
ココロは逃げてきた、とは言わなかった。
「まあ、いいわ。右腕を出して」
少女はそう言った。
唐突だったが断る理由がなかったのでココロは素直に右腕の制服の袖をまくる。
「っ!!」
ココロは心底ぞっとした。胃袋に氷を十個ほど放り込まれたような気分になった。
肘から手首にかけてかなり大きくて真っ黒なアザができていたのだ。その墨のような黒はココロに死を連想させた。腕に突然原因不明の巨大な黒いアザができたのだ、健康にいいはずが無い。
「なんだこれ・・・・・・?俺死ぬのか・・・・・・?」
再び死の恐怖に襲われたココロに少女が彼の思いなどには興味なさそうに告げる。
「死なないわ。あなたはね」
意味ありげなその口調にココロは聞き返す。
「俺は?他の人に関係あるのか?」
「あるわ」
そこで少女は一呼吸してから言った。
「その手で触れたもの、つまりあなたが触れたもの、あなたに触られたものはあなたの意志と無関係に」
そこでちょっと言葉を止めて少女はココロの顔色をうかがうような、それでいて突き放すような眼で言う。
「死ぬのよ」

†††

「まさか」
俺の口から音が聞こえる。俺が言ったようだ。だけど声がいやに遠い。
「まさか、じゃないわ。本当のことよ。手を出して」
俺の気持ちも知らず、目の前の女はほとんど冷徹なほど落ち着いていた。
「いやいや、でも」
「手を出して」
心の整理がつかない。まるで訳が分からない。自分の右腕が何?触れたものを殺す?ばかばかしい。中二病にもほどがある。中二だってもっとまともなことを言う。
「ねえ」
司会が真っ暗になる。世界が色を失う。音が消える。
何か白いもの・・・・・・手?
白い手が見える。
揺れている。
女が目の前で手を振っていることに気づくのにしばらくかかった。
「ねえ、起きて。今はこらえて。早く処置しないと関係ない人を殺してしまうわよ」
何も考えられない。ただ女の声が頭にこだまするばかり。
「さあ、手を出して」
手を出せばいいのか・・・・・・?
言われるがままに手を、右腕を女に向かって伸ばした。もう自分の腕じゃないみたいだ。遠い、そう感じた。
「この包帯を巻くのよ」
そう言って一巻きの包帯を差し出す。巻け、と言うことか。
左腕だけで右腕に包帯を巻くという何とも難しい作業をしているうちに俺の頭も大分すっきりしてきて、少しは思考が働くようになった。
「この包帯の意味は?」
「包帯は普通の物よ。それで直接肌に触れないようにするの。それだけだと不自然だから肌に見えるようにする」
「どうやって?」
「その質問に意味はあるの?」
彼女のそんな言葉にむっとしながらも俺が包帯を巻き付けていたとき、ピンポンパンポン、と間の抜けた校内放送の音が流れた。
『えー、校内に不審者が侵入しましたので十分に注意してください。騒がずに教員の指示に従ってください』
再びピンポンパンポンと鳴って沈黙。放送はそれだけだった。暢気にもほどがあるだろう。
「今の「不審者」っていうのは私のことよ」
「そうだと思った」
そう軽口を返してもう少しで全部巻き終わる、という時、邪魔者が現れた。
マキノである。

†††

もう少しで巻き終わるという時になって、屋上のドアがぎい、とおかしな音を立てて開いた。
ドア口に立っていたのはマキノだった。
「・・・・・・!!」
これはまずい、と直観した。
マキノは俺と傍らの少女を面白いほどに大げさに交互に見て何を思ったのか、俺に突進をかけてきた。
とっさに俺はその突進を避けようとした。してしまった。
その拍子に、巻きかけの包帯が、触れたものを絶命させるという俺の右腕に巻きつけていた包帯が、
ひらひら、と。

・・・・・・地面に落ちた。




気がつくとマキノは地面に這いつくばっていた。
何をしてるんだ?俺を殴らなくていいのか?と声をかけようとしたが声が出なかった。喉がイカレたのだろうか・・・・・・。

「厄介なことになったわね・・・・・・」
口に手を当て、眉間にすこしシワを寄せて少女は考え込んだような格好をしていた。
「・・・・・・あなたは早く包帯を巻いて。これの処理は私が考えるから」
それでもなおも動かない俺を見て、俺の眼がぐるぐる回っていることに少女は気づいた。
これ?処理?そう言いたげな顔をしていたのがわかったのだろうか。少女は口を開いた。
「何が起こったか、わかってる?」
俺は少女の顔を見た。が、ぼんやりとした物しか見えなかった。
いいや、と言った。
「・・・・・・彼はあなたの右腕に触れたのよ」

†††

「・・・・・・うそだ」
ぽつり、とそんな声が口から漏れる。
うそじゃないわ、と少女。
「あなたは突っ込んできた彼に吹き飛ばされたのよ。多分そのときに右手が彼に触れたのね。あなたが立ったときにはもうそうなっていたわ」
地面にぐにゃりとくらげのように力なく倒れているマキノを何の感情もこもらない瞳で見つめながら少女は言った。
「あなたがどう思うかわからないけどその右手は私にとって大きな利益よ。あの時あなたを救って本当によかった」
ひょっとしたら俺をなぐさめようとしていたのかもしれない。右手がもたらしたこの忌まわしき事態が俺に与えたショックをこんな言葉をかけることで和らげようと、もしかすると、していたのかもしれない。
しれないが、全くの逆効果だった。

この言葉は俺にあることを気づかせた。
目の前で倒れているのは俺の右腕のせい。
右腕に突如宿った禍々しい死の闇のせい。
闇が宿ったのは女が俺を助けたせい。
俺が助けられたのは俺が死にかけたせい。
俺が死にかけたのは・・・・・・俺が四階から飛び降りたせい。

心臓を氷の手で鷲掴みにされたように感じた。

自殺がこんな、こんな結果をもたらすなんてよもや思いもしなかった。俺は間違っていない。俺は間違っていない。だって知らなかったから。
いや、そうじゃあないだろ?必死に言い繕っても頭は冷静に心に真実を突きつける。
お前は死のうとした。自分の死のせいで悲しむ人間がいると知っていながら。それは明らかな間違いだろう?そしてその間違いを犯した結果がお前の目の前に転がっている死骸の原因だ。

悪いのはお前だ。他の誰でもない。
お前が元凶だ。
マキノを殺したのはお前だ。

†††




夢幻1.0

机の上に一通の封筒が置いてある。その表面には丁寧に書こうとしたのだろうが、どうしても子供らしさの残る字で「お父さん・お母さんへ」と書いてあった。中身はおそらく手紙で、そこには書いた者の親に対する余すところのない愛情と感謝が込められているのだろう。

その手紙の主は今、マンションの正面で地面に血にまみれて倒れている。

***

今は夜。深夜。今日と明日が入り交じる時間。
寝ずに家の中の気配を窺っていた少年は、静まりかえった家の中、一人起きた。マンションの一室の中、月明かりに照らされたせいかその横顔は蒼白かった。そしてかなり長い間起きあがった姿勢のままでじっとしていた。まるでそのまま朝が来ることを待ち望んでいるかのようだった。自分の生まれた理由を理解できない怪物もこうするんじゃあないだろうか、と少年はぼんやりと思った。

しかし、少年は朝が来るのが待ちきれなかったのか、それとも夜に急かされたのかベッドから立ち上がった。机から数日前から準備していた手紙を取り出し、机の上にそっと置いた。その手紙の全てがまるで羽のようだった。そしてなるべく音が出ないように、しかし思ったよりも音が出ないことにより恐怖を感じながら部屋のドアを開け、廊下を通り、玄関のドアを開け、立ち止まった。
廊下を振り返り、耳を澄ませ、両親の寝息が相変わらずしっかりしているのを確かめ、泣き出しそうになった。
涙が出る前に少年は家を出た。靴は履かなかった。

***

ぺた、ぺた、と足音がマンションに響く。しかし誰も気づかない、誰も彼を認識していない。それがまるで住人が彼の行為を認めているようで、少年は断頭台に向かう罪人の気分はこんなものだろうか、と特に表情もなく考えていた。

エレベーターが下へ向かう。誰とも会いたくない、誰かに出くわしたい、その両方の矛盾した願いが心の中に去来していることを少年は淡々と受け止めていた。
エレベーターは一階についた。少年は冷えて感覚のなくなってきた足を引きずるように、しかしその歩みを止めることなく出口、あるいは入り口へと向かう。
出口は開かなかった。どういう訳かいつもは開くドアが開かなかった。予想もしていなかったことに少年の眉がひそめられる。
深夜になると、中から出られないのか・・・・・・?
いや、出られるだろうが何かしらの操作が必要なのか・・・・・・?
少年はしばらくドアの周りのボタンやら何やらを眺めていたが、結局何も押さずにエレベーターへ戻った。

エレベーターは今度は上る。天国へ向かうみたいだ、と少年はぼそりとつぶやく。天国行きにしてはずいぶんとチンケだが。
エレベーターが屋上へ着く。
びゅううぅうぅ・・・・・・。冬のマンションの屋上に木枯らしが吹き荒ぶ。しかし、少年は寒さに震えるなんて下らない、と言わんばかりにぺたぺたと歩きだした。足の感覚はもうない。しかし、まだ歩ける。
四階のマンションの屋上のへりに立ち、地面を見る。深夜なので暗くて見えないかと思ったが、人間の文化は偉大だ。明かりが煌々と地面を照らし出している。四階とは言え、目のくらむような高さに少年は恐怖を覚えつつ、安心していた。この高さなら十分に死ねるだろう。四階しかないから心配していたが大丈夫だろう。
しかし、少年はへりから少し離れた。そしてエレベーターの方を見やる。その無意識の行動に気づいて少年は無理矢理口元に笑みを浮かべる。そして笑みを消し、一度悲しい目で足下を見、そのままぺた、ぺた、ぺた、とへりに立ち、母の胸に飛び込む子供のように、夜の闇に飛び込んだ。

***

少年が四階という中途半端な高さから落ちたばっかりに少年は死ななかった。正確には即死せずに、致命傷を受けた。ついでに最悪なことに意識もまだあった。飛び降りたときの音は小さく、誰も気づいていないようだった。

少年は右目を開けた。右目は無事だった。左目はつぶれてしまっていた。色々なところの感覚がおかしかった。腹の中が血の海になっているように感じた。実際その通りになっていたのだが。

少年の感覚は明らかに普段と違っていた。まず、視界が固定されていた。見渡せず、遠近もどこか狂ったように見えた。遠くのものが近く、近いものが遠く感じた。
光が聞こえ、音がにおい、冬の冷たさが見えた気がした。
全身の骨という骨が折れているように感じたが、痛みは感じなかった。脳がやられたのか、神経がやられたのかわからなかった。自信の状況を考えながら頭の中には様々なことが駆け巡っていた。
痛い。いや、痛くはない。寒い?寒い。キリンは黄色かったっけ?今流れてる曲の題名はなんだっけ?黄色だった。手が動かない。足の親指がくすぐったい。「ブラックアウト」だ。死ぬのか?はは、「停電」か。目の前に何か白いのが・・・・・・ああ、歯か。死ぬな、これは。正確には見えてるから停電じゃないな。死ぬのか・・・・・・。俺は死ぬんだな・・・・・・。
生きたかったのかな・・・・・・?

少年はもう意識すら安定せず同時に複数の思考が並列し始めた頭でぼんやりと問いかける。先ほどから自分がしきりに死について考えていることが不思議だったのか。
視界が曇る。まぶたが落ちたのではない。そもそもまぶたが動かない。そもそも無いのかもしれない。そして頭の中にこんな問いかけが浮かんできた。

生きたい?
      ・・・・・・わからない。
死にたい?
      ・・・・・・死にたくない、でも生きたくもない。
こんなふうに死にたかった?
      ・・・・・・絶対にお断りだった。
もう一度やり直したい?
      ・・・・・・何を?
人生を。
      ・・・・・・わからない。
じゃあ、このまま死にたい?
      ・・・・・・嫌だ。

そこで少年は「ああ、俺は生きたかったんだ」と思った。

どうしたい? 
      ・・・・・・生きたい。
生きたいの?さっきと違うけど?
      ・・・・・・今は生きたくなった。
・・・・・・どんな代償を払っても?
      ・・・・・・。
・・・・・・どうなの?
      ・・・・・・お前は何だ?俺じゃないのか?
あなたじゃないわ。それでどうなの?払えるの?払えないの?

もはや冷静な思考を保っていたのが不思議な程の意識の中で少年はその声の主の正体もその代償の内容もどうでもよくなった。

      ・・・・・・払う。だから俺を生きさせてくれ。
・・・・・・承知したわ。


******

ある病室の扉を開こうとして少年の手が止まる。両手でりんごの入った紙袋とそこそこ大きな皿を持っているのだ。止まるのも当然である。
ちょっとバランスを崩しかけたが、少年はなんとかドアを開けた
部屋の中には患者が六人いて、それぞれがカーテンで仕切られた小部屋みたいな所に入っている。
「あ、やっぱり」
少年がその中でも一番奥の小部屋の主に顔を見せると、その主は静かな、しかし、どこか弾んだ声を出した。
「また、りんごだけどいいかな?」
少年は声の主のきらきらした瞳を見ながら聞く。
「りんごは好きよ。やっぱり、今日は来ると思ってたのよ」
少年は少女の傍らに置かれた小さな棚にりんごの袋と皿を置いた。
「さっきの、やっぱりってのはそういうことかい?」
部屋の隅に置いてあった椅子を引っ張ってきて少年は言う。
「そうよ。今朝からずっとそんな気がしてたの」
「へえ」
言いながら少年は鞄から短い果物ナイフを取り出し、それで器用にりんごの皮をむき始めた。
みるみる長くなっていくりんごの皮を見ながら少女は、
「ねえ、そのお皿はどうしたの?いつもと違うんじゃない?」
と少年がむいた皮を垂らしている皿と少年がいつも持ってくる皿との違いを指摘した。そしてまるで少年に見つかるまい、とでもするように、起きあがっていた上半身をゆっくりとベッドへともたせかけた。
「ああ。今日は皿を持ってきてなかったんだ。だけど来る途中で良いりんごを見つけたから買っちゃった。皿は上川さんに貸してもらったんだ」
少女の問いに少年はりんごの皮をむきながら淡々と答える。
「そうなの」
少女は短くそう返事をして窓の外に目をやり、一羽のカラスが夕日を横切って飛んでいくのを見た。
「上川さん、今度結婚するんですって」
そう少女は窓の外に顔を向けたままぽつりと言う。少年は少女の横顔を視界の端で見ながら、本当は何を考えているのだろう、と思った。
思ったが、その答えを聞くのはなんだか怖くて少年はりんごの皮をむき続ける。
やがて皮もあと一息で全部むける、というころになって少女は少年の方へ顔を向けた。
そして何か言おうと口を開きかけたが、そのまま口を閉じてしまった。少年には視界の端で全部見えていたのだが、何も見なかったかのように、
「見ろよ、月みたいだろ」
と誇らしげに見事に赤から黄色になったりんごを見せつけた。
少女は少しほほえんだ。
「そうね。とってもきれい」
と言った。

***

病室から出ると少年は鞄からマスクを取り出して着けた。
「どうだった?」
声をかけたのは病院には、というか、現代にはあまりにも異質な男だった。
一言で言えば浪人っぽい。
浪人と言っても、受験に落ちた人のことではなく、江戸時代とかの武士崩れだ。
着物を着ているのだが、あまりにぼろくなりすぎていて元の色が分からない。髪はぼさぼさでぐちゃぐちゃ。それでもそいつが侍、あるいは元侍だとわかるのは腰に日本刀を帯びているからだ。
そいつがたったいま少女の見舞いを終えた少年に声をかけたのだ。
「だめだね。効き目ない」
少年はそいつに返事した。しかし、マスクで少年の口が動いていることは傍目からは分からない。
浪人は壁にもたれ掛かっていたが少年が歩いて行くのに従って歩きだした。
「あの狐め・・・・・・。やはり嘘だったんじゃないか?」
浪人が少年へ問いかけたちょうどその時、少年と浪人は看護師とすれ違った。看護師は少年とは顔見知りらしく、軽く会釈した。少年もそれに会釈で応じる。しかし、浪人には一瞥もくれることなく彼は通り過ぎていった。
彼と十分に距離が空いたことを確認して少年は浪人の先ほどの問いに答える。
「・・・・・・嘘じゃないよ。あいつもあれが本物だと思ってたんだろ」
「・・・・・・また無駄骨か」
「そうだな」
少年は浪人のいささか毒を含んだつぶやきに低い声で答える。
少年は少女の担当看護師である上川さんに借りた皿を返しに受付に行った。上川さんはベテランの看護師で少年と少女の二人との付き合いも長い。
「上川さん、お皿ありがとう。助かったよ」
「いいのよ」
上川さんはそう笑って皿を受け取り、再び仕事へ帰っていった。今日は特に忙しそうだ。
病院での全ての用事を済ませ、少年と浪人はさっさと出口へと向かう。
外はもうさっきの夕日も沈んで夜の帳が下りかけていた。
「・・・・・・さっきお前、無駄骨って言ったよな」
出口の自動扉が開き、少年が病院の外へ出る。浪人もそれに続く。
「ああ」
「確かにその通りだ。俺がやってきたことは無駄だったし、これからも多分無駄だとは思う。それでも・・・・・・」
少年は立ち止まり下から少女のいた病室の窓を見上げる。少女は窓辺に立ってこちらを見ていたらしく、少年と目が合うと笑って手を振ってきた。
「・・・・・・それでも、やめるわけにはいかない」
少年は笑顔で手を振り返しながら、浪人にというよりは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。