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夢幻1.0

机の上に一通の封筒が置いてある。その表面には丁寧に書こうとしたのだろうが、どうしても子供らしさの残る字で「お父さん・お母さんへ」と書いてあった。中身はおそらく手紙で、そこには書いた者の親に対する余すところのない愛情と感謝が込められているのだろう。

その手紙の主は今、マンションの正面で地面に血にまみれて倒れている。

***

今は夜。深夜。今日と明日が入り交じる時間。
寝ずに家の中の気配を窺っていた少年は、静まりかえった家の中、一人起きた。マンションの一室の中、月明かりに照らされたせいかその横顔は蒼白かった。そしてかなり長い間起きあがった姿勢のままでじっとしていた。まるでそのまま朝が来ることを待ち望んでいるかのようだった。自分の生まれた理由を理解できない怪物もこうするんじゃあないだろうか、と少年はぼんやりと思った。

しかし、少年は朝が来るのが待ちきれなかったのか、それとも夜に急かされたのかベッドから立ち上がった。机から数日前から準備していた手紙を取り出し、机の上にそっと置いた。その手紙の全てがまるで羽のようだった。そしてなるべく音が出ないように、しかし思ったよりも音が出ないことにより恐怖を感じながら部屋のドアを開け、廊下を通り、玄関のドアを開け、立ち止まった。
廊下を振り返り、耳を澄ませ、両親の寝息が相変わらずしっかりしているのを確かめ、泣き出しそうになった。
涙が出る前に少年は家を出た。靴は履かなかった。

***

ぺた、ぺた、と足音がマンションに響く。しかし誰も気づかない、誰も彼を認識していない。それがまるで住人が彼の行為を認めているようで、少年は断頭台に向かう罪人の気分はこんなものだろうか、と特に表情もなく考えていた。

エレベーターが下へ向かう。誰とも会いたくない、誰かに出くわしたい、その両方の矛盾した願いが心の中に去来していることを少年は淡々と受け止めていた。
エレベーターは一階についた。少年は冷えて感覚のなくなってきた足を引きずるように、しかしその歩みを止めることなく出口、あるいは入り口へと向かう。
出口は開かなかった。どういう訳かいつもは開くドアが開かなかった。予想もしていなかったことに少年の眉がひそめられる。
深夜になると、中から出られないのか・・・・・・?
いや、出られるだろうが何かしらの操作が必要なのか・・・・・・?
少年はしばらくドアの周りのボタンやら何やらを眺めていたが、結局何も押さずにエレベーターへ戻った。

エレベーターは今度は上る。天国へ向かうみたいだ、と少年はぼそりとつぶやく。天国行きにしてはずいぶんとチンケだが。
エレベーターが屋上へ着く。
びゅううぅうぅ・・・・・・。冬のマンションの屋上に木枯らしが吹き荒ぶ。しかし、少年は寒さに震えるなんて下らない、と言わんばかりにぺたぺたと歩きだした。足の感覚はもうない。しかし、まだ歩ける。
四階のマンションの屋上のへりに立ち、地面を見る。深夜なので暗くて見えないかと思ったが、人間の文化は偉大だ。明かりが煌々と地面を照らし出している。四階とは言え、目のくらむような高さに少年は恐怖を覚えつつ、安心していた。この高さなら十分に死ねるだろう。四階しかないから心配していたが大丈夫だろう。
しかし、少年はへりから少し離れた。そしてエレベーターの方を見やる。その無意識の行動に気づいて少年は無理矢理口元に笑みを浮かべる。そして笑みを消し、一度悲しい目で足下を見、そのままぺた、ぺた、ぺた、とへりに立ち、母の胸に飛び込む子供のように、夜の闇に飛び込んだ。

***

少年が四階という中途半端な高さから落ちたばっかりに少年は死ななかった。正確には即死せずに、致命傷を受けた。ついでに最悪なことに意識もまだあった。飛び降りたときの音は小さく、誰も気づいていないようだった。

少年は右目を開けた。右目は無事だった。左目はつぶれてしまっていた。色々なところの感覚がおかしかった。腹の中が血の海になっているように感じた。実際その通りになっていたのだが。

少年の感覚は明らかに普段と違っていた。まず、視界が固定されていた。見渡せず、遠近もどこか狂ったように見えた。遠くのものが近く、近いものが遠く感じた。
光が聞こえ、音がにおい、冬の冷たさが見えた気がした。
全身の骨という骨が折れているように感じたが、痛みは感じなかった。脳がやられたのか、神経がやられたのかわからなかった。自信の状況を考えながら頭の中には様々なことが駆け巡っていた。
痛い。いや、痛くはない。寒い?寒い。キリンは黄色かったっけ?今流れてる曲の題名はなんだっけ?黄色だった。手が動かない。足の親指がくすぐったい。「ブラックアウト」だ。死ぬのか?はは、「停電」か。目の前に何か白いのが・・・・・・ああ、歯か。死ぬな、これは。正確には見えてるから停電じゃないな。死ぬのか・・・・・・。俺は死ぬんだな・・・・・・。
生きたかったのかな・・・・・・?

少年はもう意識すら安定せず同時に複数の思考が並列し始めた頭でぼんやりと問いかける。先ほどから自分がしきりに死について考えていることが不思議だったのか。
視界が曇る。まぶたが落ちたのではない。そもそもまぶたが動かない。そもそも無いのかもしれない。そして頭の中にこんな問いかけが浮かんできた。

生きたい?
      ・・・・・・わからない。
死にたい?
      ・・・・・・死にたくない、でも生きたくもない。
こんなふうに死にたかった?
      ・・・・・・絶対にお断りだった。
もう一度やり直したい?
      ・・・・・・何を?
人生を。
      ・・・・・・わからない。
じゃあ、このまま死にたい?
      ・・・・・・嫌だ。

そこで少年は「ああ、俺は生きたかったんだ」と思った。

どうしたい? 
      ・・・・・・生きたい。
生きたいの?さっきと違うけど?
      ・・・・・・今は生きたくなった。
・・・・・・どんな代償を払っても?
      ・・・・・・。
・・・・・・どうなの?
      ・・・・・・お前は何だ?俺じゃないのか?
あなたじゃないわ。それでどうなの?払えるの?払えないの?

もはや冷静な思考を保っていたのが不思議な程の意識の中で少年はその声の主の正体もその代償の内容もどうでもよくなった。

      ・・・・・・払う。だから俺を生きさせてくれ。
・・・・・・承知したわ。


******

ある病室の扉を開こうとして少年の手が止まる。両手でりんごの入った紙袋とそこそこ大きな皿を持っているのだ。止まるのも当然である。
ちょっとバランスを崩しかけたが、少年はなんとかドアを開けた
部屋の中には患者が六人いて、それぞれがカーテンで仕切られた小部屋みたいな所に入っている。
「あ、やっぱり」
少年がその中でも一番奥の小部屋の主に顔を見せると、その主は静かな、しかし、どこか弾んだ声を出した。
「また、りんごだけどいいかな?」
少年は声の主のきらきらした瞳を見ながら聞く。
「りんごは好きよ。やっぱり、今日は来ると思ってたのよ」
少年は少女の傍らに置かれた小さな棚にりんごの袋と皿を置いた。
「さっきの、やっぱりってのはそういうことかい?」
部屋の隅に置いてあった椅子を引っ張ってきて少年は言う。
「そうよ。今朝からずっとそんな気がしてたの」
「へえ」
言いながら少年は鞄から短い果物ナイフを取り出し、それで器用にりんごの皮をむき始めた。
みるみる長くなっていくりんごの皮を見ながら少女は、
「ねえ、そのお皿はどうしたの?いつもと違うんじゃない?」
と少年がむいた皮を垂らしている皿と少年がいつも持ってくる皿との違いを指摘した。そしてまるで少年に見つかるまい、とでもするように、起きあがっていた上半身をゆっくりとベッドへともたせかけた。
「ああ。今日は皿を持ってきてなかったんだ。だけど来る途中で良いりんごを見つけたから買っちゃった。皿は上川さんに貸してもらったんだ」
少女の問いに少年はりんごの皮をむきながら淡々と答える。
「そうなの」
少女は短くそう返事をして窓の外に目をやり、一羽のカラスが夕日を横切って飛んでいくのを見た。
「上川さん、今度結婚するんですって」
そう少女は窓の外に顔を向けたままぽつりと言う。少年は少女の横顔を視界の端で見ながら、本当は何を考えているのだろう、と思った。
思ったが、その答えを聞くのはなんだか怖くて少年はりんごの皮をむき続ける。
やがて皮もあと一息で全部むける、というころになって少女は少年の方へ顔を向けた。
そして何か言おうと口を開きかけたが、そのまま口を閉じてしまった。少年には視界の端で全部見えていたのだが、何も見なかったかのように、
「見ろよ、月みたいだろ」
と誇らしげに見事に赤から黄色になったりんごを見せつけた。
少女は少しほほえんだ。
「そうね。とってもきれい」
と言った。

***

病室から出ると少年は鞄からマスクを取り出して着けた。
「どうだった?」
声をかけたのは病院には、というか、現代にはあまりにも異質な男だった。
一言で言えば浪人っぽい。
浪人と言っても、受験に落ちた人のことではなく、江戸時代とかの武士崩れだ。
着物を着ているのだが、あまりにぼろくなりすぎていて元の色が分からない。髪はぼさぼさでぐちゃぐちゃ。それでもそいつが侍、あるいは元侍だとわかるのは腰に日本刀を帯びているからだ。
そいつがたったいま少女の見舞いを終えた少年に声をかけたのだ。
「だめだね。効き目ない」
少年はそいつに返事した。しかし、マスクで少年の口が動いていることは傍目からは分からない。
浪人は壁にもたれ掛かっていたが少年が歩いて行くのに従って歩きだした。
「あの狐め・・・・・・。やはり嘘だったんじゃないか?」
浪人が少年へ問いかけたちょうどその時、少年と浪人は看護師とすれ違った。看護師は少年とは顔見知りらしく、軽く会釈した。少年もそれに会釈で応じる。しかし、浪人には一瞥もくれることなく彼は通り過ぎていった。
彼と十分に距離が空いたことを確認して少年は浪人の先ほどの問いに答える。
「・・・・・・嘘じゃないよ。あいつもあれが本物だと思ってたんだろ」
「・・・・・・また無駄骨か」
「そうだな」
少年は浪人のいささか毒を含んだつぶやきに低い声で答える。
少年は少女の担当看護師である上川さんに借りた皿を返しに受付に行った。上川さんはベテランの看護師で少年と少女の二人との付き合いも長い。
「上川さん、お皿ありがとう。助かったよ」
「いいのよ」
上川さんはそう笑って皿を受け取り、再び仕事へ帰っていった。今日は特に忙しそうだ。
病院での全ての用事を済ませ、少年と浪人はさっさと出口へと向かう。
外はもうさっきの夕日も沈んで夜の帳が下りかけていた。
「・・・・・・さっきお前、無駄骨って言ったよな」
出口の自動扉が開き、少年が病院の外へ出る。浪人もそれに続く。
「ああ」
「確かにその通りだ。俺がやってきたことは無駄だったし、これからも多分無駄だとは思う。それでも・・・・・・」
少年は立ち止まり下から少女のいた病室の窓を見上げる。少女は窓辺に立ってこちらを見ていたらしく、少年と目が合うと笑って手を振ってきた。
「・・・・・・それでも、やめるわけにはいかない」
少年は笑顔で手を振り返しながら、浪人にというよりは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

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