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女神テミスの天秤 6.0

今日は日曜日だ。渡は静との無言の朝食を食べ終わり、食器を洗いながら今日は家でじっとしていようか出かけようか考えていた。
すると静が突然居間とキッチンのある廊下のドアをばん、と開けて、
「出かける」
そう怒った顔でわずかな荷物を持って言い放った。渡の方をわざと見ないように玄関のドアを見て言った感じだ。宣言を終えると同時にずんずんと玄関へ向かう。
「おい、待てよ、出かけるって・・・・・・」
静は渡の言葉を断ち切るように玄関のドアを勢いよく閉めた。ドアをゆっくり閉める緩衝装置ごと。
「はあ、勝手な奴・・・・・・」
そうつぶやきながらも渡は自分の責任を少なからず感じていた。

***

静は家を出て渡がいなくなってもまだずんずんがんがん歩いていった。まるで道行く人に「私、怒ってます」と宣伝して回りたいかのようだった。
静は今、両脇に六月の桜の木が何本も植わっている古いきれいな通りを歩いている。すぐ近くには小川が流れている。水がさらさら流れる音がする。実は近くに「かえる池」と呼ばれる池があって季節になるとそこで蛙が鳴くのだが、風流でも何でもなくがあがあとうるさいだけなので近隣の住民にはその辺りはすこぶる評判が悪い。
まあ、蛙のうるさくなく鳴く季節でない今はただの単なる散歩コースである。

ところでそんな散歩コースで怒りをまき散らしている静はというと、本人にも自分が一体どうして怒っているのかよくわからなかった。明確な理由が分からなかった。怒りたいから怒っている、みたいな感じだろうか。
彼女の心の中を推測してみよう。
矢部君のことが好き、でも告白なんてできない。そんな意気地なしの自分がイヤ。それとあの図々しい居候が嫌い。あたしを助けるとか言って肝心なところで役に立たない。サークルが苦痛になってきた。練習が緩い。なのに金がかかる。一年たってもサークル仲間の中で浮いている、阻害されて陰口を言われている。それを知っている。
親が仕送りしてくれていることを考えるとすぐにも辞めたい。
文章にしてしまえばこのような悩みがいっしょくたになって、ぐちゃぐちゃに混ざりあって静の頭の中で渦を巻いているのだ。無意識な悩みが入り乱れたカオスな竜巻が静の心の中で暴れていた。

結果、静は無性に腹が立って渡に八つ当たりしたし、今も鼻息荒く、足音激しく、鬼も尻尾巻いて逃げ出すような形相で猛進しているのだ。
当然彼女に特に目指すところなど無いが、その散歩道は「もみじ山」へと続く道だった。別に散歩のために作られたわけではない。
静は歩き続けている。もちろんもみじ山に行きたいわけではない。ただ歩きたかったのだ。歩いて、足音を出しまくって、怒りも一緒に出したかったのかもしれない。頭を冷やそうと、ひょっとしたら、していたのかもしれない。

***

渡はイスに座ってぼうっとしていた。午前中は洗濯、トイレ掃除、昼食作りでつぶれた。昼食を食べ終えて今は一時くらいである。昼食の時に見ていたチャンネルをかけたままで、今は何やら芸人がまくし立てている番組を見ている。
しかし、渡がその番組を見ていたのかはよく分からない。
視線は一点を見つめたまま動かず、スタジオが爆笑に包まれてもつられてにやりともしない。普段は面白くもないところでよくつられているのに。

そのまま彼は長いこと動かなかったが、二時になり番組が変わったときにようやくほんの少し我に返り、テレビを消した。
そして、首を傾げた。
「あいつは何してるんだ・・・・・・?」
渡には人のいる位置が分かる、ということを覚えているだろうか。時々渡はほとんど無意識に知人の場所を探る。ふと匂いを嗅いだり、耳を澄ませるのと同じようなことだ。
それで静のいるところを「視た」ところ、かなり遠い所にいた。しかも全く周りに人がいない。
渡はすぐにパソコンを開き、地図を出した。感覚的な位置と方向を照らし合わせて、どうも静はなんとかという山だか森だかのまっただ中にいるらしいということがわかった。
「・・・・・・これは大丈夫なのか?」
「視る」かぎり静はほとんど動いていない。まさか迷ったのだろうか。
「まさかな・・・・・・」
しかし渡はパソコンを終了し、部屋の中をぐるぐると歩き回った。

助けに行くべきか?そんな質問が渡の頭の中に浮かぶ。
そうかもしれない。でも違うかもしれない。静はただ大自然に癒しを求めに行っただけで、今もそのリラクゼーションなるものの真っ最中かもしれない。「助けに行け」ば逆に嫌がられるだろう。
だがしかし、ひょっとしたら本当に迷っているのかも・・・・・・。

などとループ思考に陥った渡はずっと部屋をぐるぐる、ぐるぐる周り続けていた。

***

静は迷っていた。

散歩道をしばらく歩いているとちょっと勾配がきつくなってきた辺りでその道が「もみじ山」行きだと知ったのだが、意味不明に切れていた静は散歩を続行。もみじ山登頂を目指して登り始めた。
一時間ほど登った辺りだろうか、突然目の前に「危険・立ち入り禁止」の看板と注意書きがぶら下がったロープが道を遮るように張ってあった。
注意書きの方をよく読むと「この先は崖などが多く足場が不安定であり一般の方の進入は固くお断りしています。この先での事故等の責任は一切負いかねます」という内容の文章があった。
ちなみに山頂はそのずっと上。気持ちのいいくらいにまだまだだ。

この頃には静の頭も大分冷えていた。さすがに一時間歩いただけはあった。
しかし、頭が冷えても静は静である。元来の性格が登山程度で変わるはずもない。
静の目的は「登頂」。その言葉に二言は無い。無いったら無い。
静はよいしょ、と言いつつロープをくぐってまだ続いている山道を登り始めた。
この時点で十一時半くらい。

三十分後。静は無事に登頂を果たした。途中で確かに滑りやすかったり、狭い道もあったが静にとっては特に問題なく登って来れた。年輩の方や子供には厳しいかもしれないわね、と静は登っている途中でちらりと思った。
眼下には自分の住んでいる町、隣町、そのまた隣町、川、山、大学、・・・・・・まあ、そんな感じの色々なものが見えた。静は、日の出を見に来るのもいいかもね、と思ったがそこまでして見るほどでもないか、とここまでの労力を考えてすぐに打ち消した。

頂上にいたのは数分。とりあえず携帯で町を見下ろした写真を撮って下山を始めた。
山は下りの方が危ない、その言葉は静もよく知っていたため、彼女は実に慎重に道なりに下りていった。足下に意識を集中させ決して滑らないよう、滑っても大丈夫なように歩を進めていった。

異変に最初に気づいたのは下山後二十分。ふと顔を上げると全く見覚えのない所だった。静の顔が、さあっと蒼くなった。迷ったのかもしれない、そんな考えが頭をよぎった。
しかし、
「気のせいよ。たぶん・・・・・・」
と根拠のないことを言って自分を励まそうとした。だが、自分の声が思ったより震えていることを知って一層怖くなった。
「そう、携帯・・・・・・」
ふと携帯の地図とかGPSとかを思い出して藁をもすがる思いで携帯を開く。
圏外だった。
GPSもダメだった。
おまけに電池がもうすぐ無くなりそうだった。圏外だから減りが早かった。
「・・・・・・っ!・・・・・・下りればふもとにつくわよね」
そもそも迷っていないのかもしれない。行きと帰りで向きが違うから違う道に見えただけかもしれない。
そう思うと静の気はいくらか楽になった。そう思いたかっただけかもしれない。

さらに二十分後。事態は更に深刻になっていた。ふもとへ行くと言ってもそもそもが登山を禁止している道だ。当然ほとんどけもの道のような所もいくつかあった。おまけに下りたいのに道が「上り」になることも割とあった。
そうなると静の焦りは相当なものだった。下りたいのに上らなければならない。その葛藤はかなりのもので途中で何度か引き返して下り直したりした。
何度目かの引き返しの時にふと気づいた。
引き返す前の道がわからない。
元々の道がわかっていた今までは、まあ最悪の場合は頂上まで引き返すことができた。
しかし、その頂上への道さえ見失った今、それは不可能となった。

この時に静は完全に「迷った」のである。
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