119話 雪 - 天邪鬼者の作文書庫

119話 雪

2016年08月18日22:28  北の海の魔女

 「久しぶりですって? あの日からまだひと月も経っていませんわ。やだわ、もうろくしちゃって」
 シエラと呼ばれた女は大きな岩の上に足を組んで座っていた。短めのドレスのスカートから白い足が見えている。
 「へえ、言うじゃないか。ひと月も保たなかった奴に言われたくないな」
 「あら、サンプルが欲しいっておっしゃったのは先生でしょう? ここまで早く発症するとは思いませんでしたの?」
 「仮にも二百年も私の弟子だったんだ。多少、色眼鏡で見てしまうのもやぶさかではないだろう?」
 「やぶさか、の使い方、間違っていますわ。でも、まあ、いいでしょう。くだらない話はこのくらいで十分。 ……いい加減、頭が痛いですし」
 「頭痛か。そうか、それは記録しておかないとな」
 シエラは岩から飛び降り、スカートをひらめかせてフワリと着地した。
 「逆鱗の陣のハンデがありますが大丈夫ですか?」
 「弟子に心配されるなんて末代までの恥だなあ」
 「言ってくれますね……。でもその末代って私のことですよね?」
 シエラが両手で杖を構えてにこりと笑う。杖がパキパキと凍り付く。
 「今からこの山を雪山にしますから、安心して眠ってください。先生」
 「雪山にするんだろ? 寝たら永眠してしまうじゃないか」
 「ええ、そうです。してください、永眠」
 「……眠る暇をくれるの?」
 そう言いながらホルトゥンはじり、と一歩踏み出す。
 ベリオは逆鱗の陣の中でも魔法を使用して攻撃を加えてきた。陣を無効化する道具を持っていたに違いない。 そしてそれはシエラも同じ彼女も当然ベリオと同じ装備で陣の効果を受けずに攻撃できていると考えるべきだ。
 というかそもそも相手は弟子だ。
 面倒くさいなあ。ホルトゥンは内心でため息をついた。

***

 同じころ、シャインも内心でため息をついていた。
 やってしまった。
 肝心なときにこれか。情けない。
 シャインは今、第五区の医療幕舎の中に縛り付けられている。中央の柱に後ろ手に括り付けられている。ここまで、戦闘は全くと言っていいほど無かったので負傷兵はいない。体調を崩して休んでいた兵もいたらしいが、先ほど始まった戦闘のせいで彼らも駆り出されたのだろう。すでに医官しか残っていない。当の医官はずっと本を読んでいる。ときおり短くなった煙草を足元に落とし、踏みにじって火を消しては、新しいものに火をつけている。
 やれやれどうやってここから抜け出そうか、と考えていると幕舎の入り口のあたりで妙な物音がした。ぐえっという高い声と、どんという低い音だった。音がしてすぐに入り口から知っている顔が表れた。医官がぎょっとした顔をしたが、そいつはまるで意に介さず、飲み屋にでも来たような調子で言う。
 「よう大将、こんなところで何してるんだ?」
 「見た通りさ。捕まったんだよ。あなたこそこんな所で何してるんだよ。脱走したのか」
 「ああ。ついでにあの鉄の魔法使いも倒してきたぞ」
 「ホントに?」
 シャインが意外そうな顔を見せる。レイケンが誇らしげに胸を張る。
 「どうだ。少しは俺のことを見直したか」
 「……ああ、うん? 別に見損なってなかったけど」
 案外こどもっぽい人だな、とシャインは思った。
 「それで? これからどうするつもり?」
 「ふむ。それなんだが、しばらくお前が指示を与えてくれないか?」
 「どうしたんだよ、いい大人が。自信たっぷりにそんなこと言うなよ」
 「やかましい。お前は俺を信じた。だから俺はそれに報いる。それだけだ。この戦いが終われば俺はどこかへ行く。だが今はお前の好きに命令しろ。役に立って見せよう」
 なんて勝手な人だ、とシャインは再びため息をついた。
 「わかった。好きにしてくれ。……じゃあ、とりあえずこの縄を切ってくれないか?」
 医官は知らん顔で新しい煙草に火をつけている。
 

***

 「……というわけで、早く門へ行ってビアード将軍とともに指揮を執ってきてくれないか」
 「わかった。任せろ!」
 そう言ってチョコ将軍は勢いよく外へ飛び出していった。数分後には門へたどり着き、怯える兵士たちを元気づかせるだろう。将軍は一兵卒からの成り上がりなので兵士たちにとってはどこか親近感があるらしく、かなり人気がある。人望もある。約束は決して破らず、人は断じて裏切らない。
……とまあそういうわけで、チョコ将軍の指揮が加われば門の守りもちょっと安心、というところ。一仕事してグルップリーはやることがなくなったので、目の前の椅子に腰かける。
 座るなんて久しぶりだ。このところずっと走りっぱなしだった……気がする。あの二人と会って、無理やり仲間にさせられてから、ずっと走っていた。ここになってようやく、魔法が使えなくなってようやく、私は休むことができる……。
 グルップリーはそのまま机に突っ伏して眠りに落ち、短い夢を見た。幼い子供のころの夢だった。

***

 石畳の上に雪が舞い落ちる。落ちては溶ける。あるいは踏まれて消える。わずかな生き残りは泥を吸って汚らしく道ばたに積もっている。僕はそれを両手ですくって雪玉を作る。作っては隣に置く。それを何度か繰り返すうち、道端の雪のように泥にまみれた女の子が隣に座り込んでいることに気付いた。そしてその娘が僕の作った雪玉を順に叩き割っていたことにも気付いた。僕が口を開いて彼女に何かを言う。不平の類だ。夢の中だからか、声はエコーでもかかっているようにくぐもってよく聞こえない。
 すると彼女はケラケラ笑って僕の手の中の雪玉を指さす。僕はまた壊されんじゃないかと思ったが、あまりに無邪気な笑顔だったので渡してしまう。すると、彼女はその雪玉を僕の顔面に投げつけた。投げつけて、それでいて、またケラケラ笑っている。泥まみれの汚い雪玉を投げておいて笑っているのだ。僕は何も言わずその子に雪玉を投げ返し、笑い返してやった。泣かすつもりだった。しかし、彼女は相変わらずケラケラと笑い続けるばかりだった。
 いきなりその子が僕の手をつかんで立ち上がり、走りだした。つられて僕も走る。そして走っているうちにいつの間にか夜になり、僕は家に帰りたくなる。けれどその子は僕の手を強く握ったまま放さずに走り続けている。夕日を背にした彼女のシルエットが怖くて、僕はからみつくその子の手を振り払って、逃げ出した。彼女と夜の闇に入っていくのが怖かった。彼女に背を向けて家へ、逆方向へ走り出した。逃げながら背後に音を感じた。足音じゃない。人間の形の骸骨が崩れるような、乾いた骨と骨がぶつかり合いながらガラガラ崩れるような、そんな音。その不吉な音がくりかえしくりかえし背後で鳴っていた。
 家に逃げ帰った僕は暖炉の前に陣取り、火に背を向けて座った。赤々と燃える炎なら、背中に走る悪寒と耳の奥に残る骨の音を消してくれるような気がした。

***

 夢から覚めたグルップリーは椅子から立ち上がった。そして幕舎から出て馬を探し始めた。
 火の魔法を覚えたのは骨の音が怖かったからじゃない。グルップリーは眠りから覚めたばかりだが、どこかクリアになった頭で思う。宿の無い娘を冷たい石畳と雪から守ってやりたいと思ったからだ。骨にならずに済むようにしたかったからだ。だから私にとってはこの炎はほんのわずかでもよかった。多少の熱があればよかった。暖炉の火の代わりになれればよかったのだ。
 馬を見つけた。跨ってわき腹を叩く。兵士と兵舎の合間を縫って馬が走り出す。……間に合うだろうか。
 自分の炎に熱を感じなくなったのは落とした城の数が十を越えた頃だったろうか。ある日、自分の炎が人を殺していると実感したのだ。宿があり火の灯る暖炉にあたる子供も、宿の無い雪に震える子供も等しく焼き殺すのだと気付いたのだ。
 人に死をもたらすだけの、殺意の熱すらもない、冷たい火の塊。今さら、それが世の中の役に立つとは思えない。思えないが、それでも賭けてみたい。やってみたい。
 シャインのおかげでそう思えたのか?
 そうじゃない。ずっと思っていた。種火はあった。無かったのは燃えるもの。あの少年がくれたのは火じゃない。油だ。
 精一杯やってから、やはりダメだったか、と笑いたい。やらないでは、笑えない。今、全力でやらなければ私はこのまま温度の無い炎に焼かれるように死んでいくだろう。
 間に合わせる。間に合わせなければ。さもなければ私はまた子供が死ぬのを見なければならない。
 まったく、あの二人に会ってから走っているのが板についてしまったようだ。
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