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女神テミスの天秤 10.0

†††

「はあ?」
静は目の前の男に向かって思いっきりバカにしたような声を出した。
これが十日間一緒に暮らしてきた男に「お前誰だ?」と言われた際の静の返事だった。
「何言ってんの、あんた」
「いや、だから、俺は・・・・・・」
静の迫力に負けて渡は不安そうに言いよどむ。
「何よ。俺は記憶喪失だ、とでも言うわけ?」
そう言って静は鼻で笑った。渡はそんな静の態度にむっとして食ってかかった。
「そうだよ。記憶喪失だ。一年前から記憶がすっぽりと抜けてやがる。あんたはそれがそんなにおかしいのか」
それを聞いて静はじーっと渡の目を下からのぞき込んだ。
「マジなの?」
「マジだよ」
「証拠は?」
「記憶喪失になった証拠って何だよ」
「それもそうね」
静はのぞき込むのをやめて少し下がった。
「でもまだ信じられないわ」
すると渡は手に持っていた紙を静に差し出した。
「何よ、それ?」
「『俺』が書いた手紙。多分だけど」
静は怪訝な顔をしてその紙を渡から受け取った。
静はその手紙にしばらく目を通していたが、
「何よ、これは。こんな汚い字読めないわよ」
と吐き捨てて紙を放り投げた。
「汚すぎるでしょ、何よこの字は!」
渡は放り投げられた紙を拾った。
「そうだよなあ・・・・・・。やっぱり読めないか」
「わかってて書いたの?」
「いや・・・・・・」
渡は拾い上げた紙の文面に目をやりながら、つぶやく。
「俺は書いた記憶がない。字から判断して多分記憶をなくす前の俺が書いたんだとはわかるだが・・・・・・」
「自分で書いたんでしょ、読めないの?」
「・・・・・・読みづらい」
渡は手紙をひらひらさせて言う。
「・・・・・・読めるの?」
「まあ、時間をかければ」
「かけて」
静が腹立たしげに言う。
「あんたにしかその手紙は読めないのよ。だったらあんたが読むしか無いでしょうが。読めば記憶が戻るかもしれないじゃない」
渡は静の顔をじろりと見た。まるで考えでも見透かすように。静はその視線にひどい嫌悪感を覚えた。
「・・・・・・。わかった。読めばいいんだろう。・・・・・・多分無駄だけどな」
この言葉は正しかった。

†††

「読めたぞ」
インスタントの麺を二人で会話もなくすすった後、静がテレビを見ていると渡が疲れた声で報告した。
ほら、とパソコンの画面を指さす。手紙の文面を解読してはパソコンに打ち込んでいたのだ。
どれどれ、と静がのぞき込む。内容は次の通りだった。

『すまない。帰ってみれば俺の記憶が無くなっているものだからさぞ驚いたことだろう。昨日君が僕を友達だと言ってくれたのは本当にうれしかった。でも僕はこのままだと本当の意味で君と友達になることはできない。***(判読不能)なんだ。意味がわからないだろうけれど、わかってほしい。***友達にはなれない。繰り返して言うけれども無理なんだ。だから僕は僕自身の記憶を一年ほど消すことにした。これで問題は解決するんだ。僕、記憶を消された僕ならちゃんと君の友達になれる。***がある。彼ならきっと僕よりもずっといい友達になるだろう。
記憶をなくした後の僕は本当に状況がわかっていないので色々と迷惑をかけるだろうが、どうか辛抱してほしい。
十日ほどしか一緒にいなかったけれどとても楽しかった。ありがとう。

・・・・・・それから俺へ。君にもすまないと思っている。こんなことをするなんてわがままにもほどがある。何もわからない君をいきなり放り出してしまったことはどれだけ***してもしきれないだろう。
少しでも君の助けになることを期待して今からいくつか説明する。
①この世界は君が暮らしていた三百年前の世界だ。
②そして君は関静という女性の家に居候している。
③彼女の家には一月に一度だけ彼女の要望で魔法を使う、家事全般を手伝い、彼女の恋を助けることを条件に住まわせてもらっている。
④この家周辺のラフルール値を五六〇未満に保ってほしい。低い分にはかまわない。とにかく越えないよう気をつけてくれ。機材はソファ脇の箱の中にあるAと書かれた測定機を使ってくれ。知らないとは思うがラフルール値は魔法によって生じる歪みみたいなものを表すパラメータだ。この調節のためこの家から出て行ってはいけない。魔法を使えば上がるので気をつけること。家から離れても同じことなので注意せよ。
⑤このアパートにはクチナシという男が住んでいる。一度しか会ったことはないが彼とは友人だ。もちろん、君の正体は知らない。
⑥君の記憶に関してだが、元の世界での九月三〇日から六月二日、この世界に来てから昨日までの記憶を全て消去してある。なお、記憶は来年の五月一五日になれば自動的に修復される。
この手紙は関に読んでも構わないが言っていないこともあるので、できれば言わないで欲しい。健闘を祈る』

「何よ・・・・・・これ」
「俺の手紙だよ」
「わかってるわよ!そんなこと!」
静はやる気なく返事した渡に怒鳴った。
「あんた、あんたが自分で記憶を消したってことなの・・・・・・?」
「そうだろうな」
静は渡のその口調が気に障ったらしく渡の胸ぐらをつかんだ。
「あんたはっ!どうしてそうヘラヘラしてられるのよ!自分のことでしょ!何とかしなさいよ!」
そこまで言って静はへたりこんだ。
「そんな・・・・・・。せっかく・・・・・・」
「さっき言ったよな、無駄だって。記憶は消えちまったんだよ、もうあきらめろ」
静の気持ちを一切斟酌しないその言葉に静は伏せていた顔をキッと上げた。
「なによ、あんたなんかッ!あんたなんかッ!」
そう言って渡を突き飛ばす。
突き飛ばされた渡も負けじと怒鳴る。
「仕方ねえだろうが!記憶を失くす前の俺はもういない。俺が自分の手で記憶を消したんだからな!」
「わかってるわよ、そんなこと!あんたは記憶をとっとと取り戻せばいいのよ!」
その言葉に渡は自分の存在を否定された気がした。
「ああ?だったら今の俺はなんなんだよ!」
「あんたは前のあんたの代役に過ぎないのよ!」

言い過ぎた、と静は思った。
渡はその言葉に硬直し、目を丸くして静を見つめている。静も何も言えなかった。どう何を言えばいいのかわからなかった。ただ、謝ることは絶対にできなかった。
やがて渡は無言でするりと居間のドアを抜け、そのまま玄関から出ていってしまった。
部屋には静一人が残った。

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